成人式に行けなかったあなたへ
※当記事では「陰キャ」「陽キャ」などといった、人によっては不快な思いをするであろうワードが含まれています。それでも大丈夫な方だけお読みください。
お久しぶりです。ななせと申します。
今日「1月の第2月曜日」、すなわち「成人の日」は私が1年で最も死にたくなる日です。そういう方は実は少なからずいると思います。
なぜなら私は成人式に行かなかった。
否、「行けなかった」から。
その「行けなかった」という事実を痛感させられ、思い出したくない学生時代を嫌でも思い出させられ、絶望する日だから。
そんな「成人の日」が私は大嫌いです。
私は足が遅かった。野球が下手だった。
そのせいで恥ずかしい思いをし、人にバカにされ、大人に叱られ、失敗が怖くなり、劣等感を知った。
子どものころの男子のヒエラルキーは運動の出来が全てで、大体中学までに「格付け」は終わる。
私の中での陽キャと陰キャは「中学までに運動ができたか否か」でほぼ分類されてしまい、そこから差が生まれてしまう(異論は認める)(女の子はまた別だと思う)
悔しかった。変わりたかった。
だから必死に抗って変わろうと努力した。高校で与えられたピッチャーという新しいポジションで自分を変えようとした。多少上達もした。
大学受験で高い目標を設定したし、大学でも過去を取り返そうとしたし人と違う自分を必死で探した。モテなかった自分を変えようとして女の子と親密になる手段を勉強した。「陽キャ」になりたかった。
でも結果は周りの評価は変わらず、自分が何か変われたわけでもなく、陽キャになりきれなかった陰キャ、「陽キャもどき」になっただけだった。劣等感が深まって治らない傷になって残った。
私が「自分は陰キャだ」というのはこういう理由です。
成人することって本当にめでたいことなんですか?そもそも何を祝ってるんですか?
慣習だから、文化だから、着物屋が儲かるから、親が喜ぶから。そんな思考停止の理由で祝うことは私からしたらすごく気分が悪い。
何にもめでたくない。こんなことで辛い記憶を思い出させられて傷を抉られたくないし、二度と「成人の日」なんて来ないでほしい。
成人式は、陰キャにとって「心の傷を抉る」ものでしかない。こんなに辛い日は1年で他にない。
この気持ちがわからない人は決まって「過去は過去」「大事なのはこれから」「今がよければそれでいい」なんて言葉で片付けようとする。
私の両親は私を地元で就職させたがるのだが、地元は嫌な思い出しかないから嫌だと言うと「働いてしまえば昔の連中と会うことはないし、職場の付き合いが主なんだから関係ない」なんて簡単に言う。
そんな簡単じゃない。人は学生時代に上手くいかなかったという「過去」を一生引きずって生きていく。
学生時代が楽しかった人は一生思い出と共に生きていくし、そうじゃない人は治ることのない心の傷を抱えながら生きていく。
どんな目に遭ってきたか見てないくせに。どんな思いをして生きてきたかわからないくせに。簡単に人のトラウマをないものにして。
私は両親の言葉を今でもどこか許せていない。
成人式が大嫌いだ。
「陽キャ」が作り上げた世界だから陰キャの辛さは増していく。こんな社会、文化、価値観が大嫌いだ。
こんなこと考えてしまう自分の人生が嫌だ。
そういう人は結構いると思います。現に私はそう思ってます。
そしてその解決方法は未だはっきりとはわからない、だから辛いんだと切に思います。
ただ1つ言えることがある。
それは「今に100%満足することができれば過去はある程度どうでもよくなる」ということです。
事実は消えない。傷は癒えない。
でも、自分はこれで生きていく!って胸張って言えるものが1つ見つかればそれで人って生きていけるんだって最近思うんです。
仕事でも、趣味でも、ペットでも、恋人や家族でも、何でもいいから「これだ!」っていうものに人生かけて打ち込んでるときに「過去」のことって思い出さないですよね。
だから、それを見つけることに全力尽くせばいいということははっきりと言える。
その誇れるものを見つけるまでが死にたくなるほどしんどくて耐えがたい。
そういうときは相談しましょう。リアルでもネットでもいいから、こいつには何でも話せるっていう人に全て吐き出して楽になりましょう。
それに、今この記事を読んでくれたあなたはもう1人じゃない。私はあなたの味方です。
ちょっとTwitterで話したくらいでいい。何の繋がりがなくてもいい。この記事を読んでくれただけで十分だしどこの誰かなんてどうでもいい。
俺は今戦ってる。何度も死にたくなってる。でもやっぱり生きることを諦められない。
いつか絶対誇れるものを見つけて笑って死のう。
何度でも言うけど、私はあなたの味方です。一緒に戦おう。
Twitter Tapu_sandstorm7